2017/05/13 声のライブラリー@日本近代文学館

 「詩」って、いったいどういう形式をしているものがそれにあたるのか、何をもってこれは詩です! と言い張れるのか、小説と言うには短くて筋もなく、そして韻を踏んでてリズム感が大事、という、なんとなく頭の中にイメージはあるというかずっと昔からそういうイメージは持っていたのだけど、そうしたら高校1年生のときに読んだアルチュール・ランボー『地獄の季節』がなんかもう、何じゃこりゃというか、ほんとうに言葉が「書き散らかされている」というか、筋はないと言ってもこれはいくらなんでもなさすぎだろうというか、とにかく作者ランボーの意図みたいなものを全く読み取れなかった、のよね。意図というかテーマと表した方が正しいかしら。詩それぞれに「あってしかるべき」(だと私はそれまで考えていた)「主題」というものが、全くわからなかった。ということで、ここで一度私は詩というものについて完全に迷子になった。一度目の価値観の崩壊。だけどそれでも、全くわからないんだけど、なぜか今に至るまで覚えていてそらで口ずさめるフレーズもある。海と太陽のあの永遠の詩はとても有名でありましょうがそれではなくて、「想えば身を裂かれるような不幸。」この一言。しかしこれもまたランボーの言葉であると同時に訳者の小林秀雄の言葉でもあるわけで、そこまで考え始めると脳に仕掛けられたダイナマイトがね、パァーン! と、頭蓋を粉々にしてしまう。なんでしょうね、翻訳者の力ってどこまで及んでいるものなのかわからないし原語がわからないとこちらとしてはそれを測るすべもないわけだ。まあ西洋の詩人に興味があって外国語が少しでもできるのであれば詩は、特に詩は原語で読むのがいちばんだと思う。この『地獄の季節』は去年の引っ越しにあたって実家からなんとなくもう一度持ち出してきたもので、さっきまた久しぶりに開いてみたんだけどやっぱりわからなかった。「ランボーのこれこれこういうところが好きでね」とサラッと言っちゃえる人になりたかった。それはそのまま「詩はこれこれこういうもの」ということを説明できるということにもつながると思う。ハア。でもわからんもんはわからんもん。知ったような顔っていってもその「知ったような顔」すらどんなのかわからんのやもん。
 想えば身を裂かれるような不幸。知性感性教養のなさ、想えば想うほど身を裂かれるような不幸。不幸! でもたぶんこれからの人生においてもふとした瞬間に思い出す。

 あと「詩」でもうひとつ鮮烈に覚えているのが宮沢賢治『永訣の朝』
 これも確か高校1年生のときで、夏休みの宿題かなにかで現代文の参考書の中に収録されていたのを、ハイハイ次つぎ、みたいな、(勉強として現代文に向き合うとどうしても数をこなすことに重きを置いてしまうというか、「現代文」として出会わなかったらもっといろんなものを得ることができたであろうなと思う小説とか、評論とか、たぶんいっぱいあった)そういうあのクソもったいない「勉強モード」でページめくった先にあった詩だった。
 もうね、すごい、泣いたの。詩っていう媒体であんなに泣いた、そしてこれから泣くのはたぶんあとにもさきにもこの『永訣の朝』だけだと思う。妹の死に際して、彼女の最後のお願い「あの雨雪をとってきて」の言葉に外に飛び出して茶碗を天に掲げるという賢治の有名な詩なんだけど、あれは私には「詩」には思えなかった。始まったぞ電波トーク、と思われるかもしれないけどあれは私には「映像」と「絵」と「光」と「音楽」だった。「けふのうちにとおくにいつてしまうわたくしのいもうとよ」「もうけふおまへはわかれてしまう」「ほんたうにけふおまへはわかれてしまう」この賢治が差し迫っていくというか現実がどんどん心の奥へ奥へそれこそみぞれが服について溶けてしみ込んで冷たくなっていくみたいに実感されていく過程もそうなのだけど、だけどこのときの賢治の心は「悲しい」の一択だったかといえば絶対そうじゃなかったと思うんだよな。妹の死に際して、夢中になって外に飛び出して降り注ぐみぞれに茶碗を掲げたとき、「へんにあかるい」その空とみぞれの冷たさと光の粒に、彼はこの世ならざるものに直に触れたのだと私は思うのだ。彼は仏教の人だから、それっぽく言うと「悟り」というのか、なんか、ふだんは「悲しい」とか「嬉しい」とか言葉によって区別されている感情が全部ぶっ飛んで天元突破してしまって、ただ大きな宇宙の「一瞬」みたいなものに、ほんの一瞬、身を置けたというか、「そのこと」に、―妹の死ではなく「そのこと」に―賢治の心はふるえたのではないかというか、私はそんな風に思っているのだ。だから賢治のこの行為は、妹にではなく神に向けられたものではないかと、そしてたびたび入るとし子の(あめゆじゅとてちてけんじゃ)のリフレインは、賢治の心に鳴り響く、世界そのものである神(あるいは神そのものである世界)に触れたことへの祝福のコーラスなのではないかと、思っているんだよね。びちょびちょになりながら茶碗を天に捧げる賢治は、たぶん泣きながら、大泣きしながらも笑っていたんだと思うんだよ。
 という「映像」「絵」「光」「音楽」を賢治は「文字」だけで表現したのだと考えたらそれもまたすげえなあと深々と感心してしまうのだった。まあこの詩はランボーの一連の詩よりかは1億倍わかりやすいと思うのでハードルはたぶん低いね。ちなみにこの詩は川上未映子さんもご自身のエッセイで言及されており、「わたしは好きでも嫌いでもないけれど」とおっしゃっていて「そ、そっか」と思った。私にとっては賢治からの会心の一撃だったんだけどひらりとかわせるというか、「ふうん」程度の人もいるんだな。そらおるわ。人から勧められて観たはいいが何が面白いのか全くわからん映画とかあるもんな。その逆もしかり。というか、その逆の方が多い気がする。基本的に私、電波系なんだわ。変なものを受信することが多い…。

20170513_チラシ

 と、私が持っている「詩」の記憶で目立つものはそれくらいなんですけども、5月13日(土)に日本近代文学館にて開催された「声のライブラリー」に行ってきまして、それが自作の詩の朗読会だったわけです。
 司会は伊藤比呂美さん、朗読は平田俊子さん、そして川上未映子さんでした。目当てと言うとなんか失礼かもしれないけれど私は川上さんのファンで、ある日何の気なしに(ふだんはあんまりチェックしない)川上さんのウェブサイトを見たらこの催しのお知らせがちょうど掲載されていて、なにぶん私はミーハーで芸能人の方とか作家の方とかとりあえず自分が興味ある方の講演会とか結構すぐ「行く行くー!」てなるんですね。ということで特に詩に造詣が深いわけでもなく申し込んで、行ってみて後悔するタイプの人間。そうじゃん…周りはみんなインテリじゃん…前に座ってるおばあちゃん、眼鏡にチェーンなんかつけちゃって…シックでお上品で…それに引き換え私ときたら古着全開でもう大人しくアメ村あたり歩いてろよみたいな恰好で(ていうかいつも思うんですけど東京の人が着てる服ってめちゃくちゃ高そうじゃないですか?なんか大阪とは全然違う。純粋な経済格差? 文化? 見栄?)始まる前から縮こまる。しかもこの日に限って大雨で裾野の長い服を着ていたわたしは足元がもうびちょびちょでなんかもう明らかに服が重い。そういうわけで今更の気おくれの塊になったところで声のライブラリー、スタートしたわけです。前置きが長い!

 朗読そのものの様子。
 平田さんの朗読は、朗読した詩が言葉あそびの要素を含んでいることもあり(ここでも私の浅学がばればれで恥ずかしいのだけど平田さんの詩はわりかし言葉あそびが多いそう)ホワイトボードを使って、時折書き込みが入る。そして声の調子もまた落ち着いていて抑揚もあまりなく(ディスじゃない)、そして背後はホワイトボードということもあり、なんだか授業を聴いているような感覚。実際、これは私がもとの詩を存じ上げなかったせいではあるのだけど、いったいどこまでが平田さんの素のおしゃべりで、どこから詩に導入してどこで終わったのかが、わからなかったのだった。それは平田さんが「トーク」と「朗読」を無理に区切っていなかったということでもあろうし、平田さんの詩もまたこの日常生活から断絶されていない、今この場で私がふつうに使っているような自然な言葉で構成されているということでもあろうと思う。「ガ、ダ、ル、カ、ナ、ル」の一音一音が、文字の形を保ったまま垂直に落ちて床にぶつかった。平田さんの足元に、たくさんの平仮名のパズルみたいなものが、ぱらぱら散らばっている。平田さんの詩は、日本語の音が、一音が、独立している。そういう読み方をしていらっしゃった。
 対して川上さん。朗読される前に、簡単に「これはこういう詩で」というストーリーのようなものを説明してくださる。ふんふん、ということは川上さんの詩には何かしらの筋があるのだな。(『水瓶』『先端で、さすわさされるわ そらええわ』ともに持っているけどやっぱり作者の方から直接解説を受けてはじめて「あっそうだったのか…」と思った)ということで、「それでは」と、川上さんは椅子にもたれる。足を組む。それまでちょっと緊張されていらっしゃるような、でもはっきり朗らか(という言葉も違う気がするけど)にお話しされていらっしゃったのだけど、その顔がふっと変わる。お、きた。と思う。「一日は憂鬱でありやくそく、叱責でありときどき逢瀬であり、自分と同じでかさ質量のずだ袋を引きずって、ずーるずーる歩く行為であって、それがわたしのコーヒーの飲めやん癖とどう関係してるんかということはまったく考えたくないなあ。」関西弁だ! いやそうなんだけど、わたしみたいな大阪に住んでますけど生まれは違います的な人間がしゃべる中途半端な関西弁ではなく、純度100%の関西弁であります。そして声も、さっきふつうに客にしゃべっていた声ではなく、川上さん自身が説明してくださったストーリーの中にいる主人公の女の子になっているんであります。だやい、というのはうちの富山の言葉ですがとにかくだやい10代の女の子なんでした。ふむ。平田さんの詩が言葉ひとつひとつの「音」みたいなものが立ち上がってくるようなものだとすれば川上さんの詩はタイトルが最上位に来る枠組みの中でぐーるぐーる流れが渦巻いているような、固形というより液体の様相を呈し、しかしカラッと乾いている(これは川上さんの声質がそうであるからかもしれない)みたいな不思議な形をしていた。そしてとても、芝居がかっていた。(かかるという言い方はなんかあまり好きじゃないが)平田さんは「平田さんとして」しゃべっていたが川上さんは「どこかの世界にいるだやい10代の女の子」としてしゃべっていた。

 休憩を挟み、司会の伊藤さんを交えてフリートークを聴く。
 ここで伊藤さんは「本当はわたしはやるつもりなかったんだけど、おふたりのパフォーマンス聴いてたらやりたくなっちゃって」と自作を朗読してくださった。これはこれなんだった。平田さんは朗読という行為の中からパフォーマンス性を極力抜いて、「平田さんとして」かつ「ただそうであるように読む」という発表をされて、川上さんはその針を逆に振って自ら「違う少女」になって「読むというよりしゃべる」いわば「芝居」をされて、そして伊藤さんは「伊藤さんとして」語っているんだけども詩との距離感みたいなものは平田さん川上さんよりも開いていて、「朗読」という言葉と結びつけるのに私の中でいちばんしっくりきたのは伊藤さんの発表だった。なぜ? なにが? と聞かれてもわかりません感覚です!! としか答えられませんのが、まあ、でも、感覚です。

 以下、全部を覚えているわけじゃないけれど印象に残ったお言葉たち。細部まで覚えてないのでニュアンス的にこうだったという風に記録。
「詩は、『念写!!!』って感じ。頭の中にあるものを、コピーするような感じ」
「私には詩っていう発表方法もあるから、小説を書くときは安心して『形式』を追える。あらすじとか、描写とか」
「人間が書くものの中でいちばん美しい形式というのは詩集だと思う。だから自分の作品の中でも、どれが長く残ってほしいかと聞かれたら、詩集と答える」
「自分が書いた作品であっても、朗読するのも自分がいちばんふさわしいかといえばそうとは限らない。難しいですよね、親と子じゃないけど、作品と自分の関係って」
「(物語るということはどういうことかという質問に対し)あらすじとか、ストーリーとか、そういうことではなくもっと大きなこと」
(川上未映子さん)

「(物語るということはどういうことかという質問に対し)物語ることはそれを通して自分以外のものになる、自分以外の誰かになるということ」
(平田俊子さん)

「(小説を書くのは人物に名前をつけるつけないがまどろっこしいという話に対して)(自分の詩には)名前なんていらないじゃない、ここにあるのは『私』なんだから」
「朗読会やるときはたいてい朗読する詩を事前に印刷して出席者に配っておくんだけど、いざ朗読が始まったら、みんな紙の方に食いついちゃうのよね。こっち見てくれないの。つまんないの。だから私一回言ったことがあるの、こっち向いてちゃんと聴いてくださいって」
「(物語るということはどういうことかという質問に対し)声を出して自分の存在を神にアピールすること、もういなくなってしまった人のことを口伝えで語ること」
(伊藤比呂美さん)

 総括。
 で、「詩」とはなんぞやと考え直してみるとやっぱりわからないままだなというのが正直な感想ではあるんだけど、そういう根本的な問いは一回置いといて、詩を「朗読する」ということについては、やってみて初めてわかることがあるというか、特に「自分」と「作品」の間に走る断絶、を思わずにはいられないのではないか。というより、自分の能力の限界のようなものというか。「声に出して語る」というのは当然ながら自分の身体性がかかわってくるわけで、この身体性という部分でどうしても作品自体の質との間に落差ができてしまうというか、まあいうたら朗読も一種のパフォーマンスだ(と私は思っている)からそれ自体にも技術的・技巧的な差というものは発生して当然だとは思うんですね。(そもそも技術って何やとも思うけど)だから書いた本人が自ら朗読するのが必ずしもベストではないというのはその通りだと思う。俳優という身体性に特化した職業の人だってこの世にはたくさん存在している。そういう人たちにお願いして発表してもらった方がおそらく「見栄えはいい」というか、万人がとっつきやすいものになるとは思うんです。ただ、そうなるとわからなくなるのが「朗読」と「芝居」の違いって何なんやということで、ここで私はいちばんひっかかってしまう。詩を読んだら朗読で、戯曲を読んだら芝居なのかというそんな簡単な話でもたぶんなくて、とにかく「読むだけ」に特化させたら朗読なのかな…とも思うんだけど、その「読むだけ」ってどこからどこまでを指すねんというか、手足動かさんかったらええんかとか、表情つけんかったらええんかとか、なんかたぶんこのへん言葉の定義も曖昧なんやろなと、特に川上さんの朗読を聴いて思ったわけです。
 でも、伊藤さんがおっしゃっていたけれど「作者自身が朗読すると、その朗読自体は下手であろうとやっぱり作者の中の感情が立ち上がってくる。それが見たい」というのも本当にそう。やっぱりパフォーマンス的技術がどうこうというのは置いといて、作者が自作を自ら朗読することの意味というのはやはりこの一点に尽きるのではないかな。客は詩を「聴きたい」のではなく作者を「見たい」のだと思う。でも伊藤さんはパフォーマンスとしても朗読お上手でいらっしゃったけど。(これ書いててふと思い出したけど映画『太陽と月に背いて』で確かランボーとヴェルレーヌ、朗読会みたいな催しに参加してたな。だからたぶん詩を朗読するという文化は国を問わず大昔から続いてきたことなんだと思う。ちなみにこの映画はレオナルド・ディカプリオの生涯もっとも美しい一瞬を捉えた奇跡の映画なのでぜひ心からお勧めしたい話が別の方向に行くのでここでやめますが)
 面白いなと思ったのが、「朗読」という行為を通じて詩というのはA「声→詩(文字)」B「詩(文字)→声」どちらのプロセスでもOKなんだというか、AかつBがあり得る、AとBは同時に成立しうる、ということが見えたことかな。伊藤さんは「私の作品としての最終形はこれ(本)」とおっしゃっていたけど、結構それ、ループを描いているのではと感じた。「はじめにことばがあった」とは言うけど、「ことば」とは結局「声」ということでしょう。声をどう定義するかにもよるけど(ここまでくると結局どれもこれも単語そのものの定義の問題になってしまうので議論は平行線をたどる宿命にあるのかもしれない)少なくとも私の認識ではことばになる前の感情であったり音であったりが「声」で、つまりは「声」なくしてはことばは成り立たない、と思っている。だから詩というのは、その「ことばになる前の声」の一瞬のシャッターチャンスを捉えて「文字」に閉じ込める作業なのかな、と思った。あるいは「声」と「文字」は本来別の次元をふわふわしていて、それが何かのタイミングで同じ水平線に来ることがあって、その瞬間を捉える、とか。一緒か。でもだからこそ詩に小説みたいな形式は存在しないのかもしれない。あらすじがあって、人物が複数出てきて(出てこなくてもいいけど)、セリフはかぎかっこで、いろいろ描写して、とか。それらはみんな後工程の話だから。(声を言葉に変換してしまったあとの話ということ)
 昔、小学生とか中学生の頃、私も詩を書いてた時期があった(詩というより歌詞かな)し、小説より詩の方が書きやすいと思ったこともあった。あれはたぶん当時の私にとって詩作が小説よりも瞬間的な作業というか、ひらめき勝負と出たとこ勝負みたいなところが面白かったのかなあとぼんやり思い返す。あと学校の勉強が簡単すぎて頭を持て余していたのと思春期の感度が暴走している時期が重なった結果じゃないかな…と…高校生になってからは全く書けなくなった。今も書かない。けど、書こうと思えば書けるのかな。

 単なるミーハー心で参加したけど、思った以上に、面白くて得るもの多き2時間でした。これを機に、詩というものにも改めて触れてみようかなと思わされました。ランボーとか、ヴェルレーヌとか、ボードレールとか、中原中也とか、萩原朔太郎とか、読もうかな。散文詩の人たちばっかりだな。
 それにしても観客がいる前でフリートークをするというの、いったいどういう心境というか心持ちでやっていらっしゃるんだろう。めちゃくちゃ熱そう&眩しそうなライトがんがんに当てられて、自分の立ち位置を意識しつつきちんと中身の入った言葉を言わなきゃならない。あれこそ芝居よな。観客がいるフリートークっていう矛盾が面白かったです。こういう面白いイベントがたくさんある東京はやっぱり最高だねえ。ゲリラ豪雨が怖いから絶対に住みたくないけど。でもまた機会があれば。おつかれさまでした。

20170513_サイン本
(川上さんよりサインいただきました。えへへ)
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GRAZ / prologue

なんだか最近は、自分はいったいドコの誰サマのつもりでtwitterなりブログを使ったりしているんだろうとぼんやり考え込んでしまうことが多く、小説を書いて発表することはまだ作品の展示というかまあ読んでもらってはじめて成立するものであるので、はじめからそういうシステムになっているものは別にいいんだけど、特にこういうブログなんかで自分の近況やら告知やらを書くのがすごく、いやお前はそもそも誰やねんと、何者かになったつもりかと、後ろから白い目で見られているような感覚に陥るのです。作品語りとかね、自分語りとかね、知らんがなと。誰もお前のことなんか興味ねえわと。でも例えばfacebookなぞ覗いてみるとそういう「ドコの誰サマ」がめっちゃいっぱいおって、安心するような逆に気が滅入るような。何もかもが供給過多ではないかと思う今日この頃。
が、こないだ会社の人たちと飲みに行ったときに後輩の女の子が「パソコンにもデジカメにもデータが入りきらないのでもう全部facebookにアップしてます」と言っていてなんとその数3000枚に及ぶらしく、いやあんたそれはさすがにfacebook酷使しすぎなんではないかと思ったのだけど、でも逆に考えてみるとそうやって、単にクラウドとしての機能を求めてSNS使ってる人も多いのだろうなと、今度こそちょっと受け入れられたというかほっとしたわけ。まあfacebookを使う時点である程度の見て見て欲求はあるのでしょうけど。
この見て見て欲求というのがどうにも嫌で、たまに本当にまじで無理と思うこともあって、なんで個人的な誰の目にも触れない日記じゃあかんのかと、なんで紙じゃあかんのかと、最近ずっと考えていたのですけども、そういえばわたし23歳の夏に1ヶ月ベルリンに滞在しまして、卒論関係の収穫もありウキウキでマンション帰ってみたら部屋全体が水没していたことがありましてね。真上の階の部屋にいた奴がベランダとかにゴミ積み上げてて、それが局地的な豪雨が降ったときに排水管を詰まらせてどっかで水の逆流かなんかが起こったみたいで、その水が真下のわたしの部屋に全部流れ込んだわけです。本当に、水没してたわけです。全部わたしが留守にしてた間に起きたことだったんで一体この水没は発生から何日経っているのかとかも全くわからず、しかし当然のことながら家電はほとんどすべてダメになり、カビは生えてるし、服も靴も死んでるし、まあ惨状とはこのことかと。ぽかーん、みたいな。どうしていいかわからなかったからとりあえず上の階に住んでた大家さんにも来てもらったけど、みんなしてぽかーん、みたいな。で、何がいちばんショックだったかって、1年間留学してたときに使ってた、日記とか観に行った芝居やオペラの半券とかを貼り付けたりしてた大事な手帳をやられたことだったんですね。サイズの都合で本棚のいちばん下に入れてて、もう完全にやられてしまったわけです。シャーペンで書いた字は消えちゃってるし、ペンで書いた字も滲んじゃってるし、ほんとに大事に、ずっとずっと大事に持っていようと思ってた手帳だったわけなので、それはもう泣いたのでした。わたしの留学の記録が、何もかもなくなっちゃったような思いがしたわけです。
だから、たとえ紙であっても油断はならないというか、紙だからこそ災害には弱いんだなと。だったら、人の目がどうとか自分が何様だとかそういうことはとりあえず置いといて、残せるところには残しておいた方がいいのかもしれないということで、今この文章に関しては、単なるクラウドを利用するという気持ちで書こうと思います。
あ、でも部屋が水没したことについてはいつか小説にしたいです。今でこそレアな体験したなと笑えるんで。すごいね、あのときはほんとに悲しみと憎しみしかなくなんでわたしがこんな目に、なんで、なんでわたしだったのかと泣きに泣いたのに、今ではこういう機会がないと思い出すことすらないのが。そういえばこんなことあったな程度にしか思わなくなったわたしがすごい。

何を書くのかというと、わたしが留学してたオーストリア、グラーツという街のあれこれについて。というのも、最近(というか昨日)ドイツ語の短期講座を受講しはじめたんですね。帰国して何年も経ってるし、仕事で使うわけでもないし、周りにドイツ人なんていないし、死にゆくばかりのわたしのドイツ語脳をちょっと、取り戻したいなあと思って。
ゲーテ・インスティトュートの講座を受けてるんですが、ここは会話がメインなコースなのでまあ聞かされるししゃべらされるわけです。それで、先生や受講者の言ってることはちゃんと理解できるのにまるでいい返事ができなかったあのときのこと、そして自分はなんにも変わってないんだなあと、でもこれはマイナスの意味だけではなくプラスの意味でも、わたしはまだこの程度の速さと内容のドイツ語であればすっと聞き取れるんだなあということ、それから自分の留学時代のことをわーっと、思い出したのでした。
といっても、グラーツのことは「エム・トロスト」という小説で舞台にしたので結構書いてしまってるんですけども。でもあれはやはり小説で、わたし個人の体験としては書いていないのでこのブログにはそんな感じで書こうかなと思います。
たぶん一回では書ききれないので、気が向いたときに、思い出せる限りのことを残していけたらいいなと。

留学って、行く前からけっこう準備することがたくさんあって、まず出願するときの志望動機を全部ドイツ語で1枚書いてこいっていうところからしてもう怠惰を地でいく当時のわたしには辛かった。幸い19歳のときにも一度グラーツに研修行ってるので、もっともらしいことをクソみたいなドイツ語で書き、提出しました。選抜試験もガバガバで、枠が3人なのに対して志願者は4人で、ちなみに言うとグラーツ大学は「神戸大学の」提携校であって「国際文化学部の」提携校ではないので間口が広い分ぜったい志願者も多かろうと踏んでいたのに応募してきたのはみんな国際文化学部でした。結局選ばれたのはわたしと男2人。しかも、選抜試験(ただの面接)から結果が出るまで1ヶ月近く時間があって、あーこれは落ちましたなと思ってたところにぽんと合格通知のメールが来たわけです。これ卒論優秀賞のときもそうだった。神大は何につけ審査と発表が遅いです。怠慢だ怠慢。
で、一応1年滞在するわけなのでビザを取得しなければならなくて、そのために戸籍か住民票の独訳?を大使館だか外務省だかにお願いしたり、警察に無犯罪証明書?みたいなものを発行してもらいに行ったり。個人的には兵庫県警に行ったときがいちばん怖かった。なんかそういう、地味な準備作業というのが地味に堪えて、わたし、もしかしてこれから大変なことになっちゃうんじゃないかなと行く前から漠然とした不安にはずっと包まれていたように思う。だってふつうに暮らしてたらビザの取得方法なんて知らないまま死ぬし、当たり前だけどグラーツ大学の留学生課の人から届くメールは英語だし、(担当はChristaさんという気さくなおばさんだった)住民票の独訳とか何をどうしたらいいかわからんかったのでChristaさんに教えてもらったし。自分で翻訳したものでもいいんですか?つって、いや、他の学生はみんなきちんとしたところに依頼してますよ…って返事もらった。そりゃそうだよ。ビザの取得をなめすぎてたわ。
ただ、学部が学部であるので留学を選ぶ人もたくさんいて(1/4は留学する)、同じゼミの人たちも2人がアメリカ、1人がドイツ・ハンブルクというコースで自分だけじゃないんだって思えたことは心強かった。ちょっとだけ。でも当時はゼミの人ともほとんど口聞かない自意識過剰勘違い根暗女(今も)だったのでやっぱりずっと一人でどうしようどうしようって追い詰められていたような覚えがある。でも、アメリカに行く人たちが学期の関係で1ヶ月ほど出発が早く、彼女たちの出発直前にゼミで兵庫県立美術館に行って、何かの展示を見て(覚えてない)、阪神岩屋駅前にある小さな居酒屋でみんなでごはんを食べたとき、その子が「ホッケ!ホッケが食べたい!もう1年食べられへんくなるかと思うと!無性にホッケが食べたい!」と言っていたのをよく覚えてる。そして彼女たちは8月の頭にアメリカに旅立っていったのだった。
わたしの出発は8月31日。その1週間くらい前に部活の人たちが送別会を開いてくれて、わたしたちが2回生だった春に打った新歓公演の記念写真(本番前に撮ったんだったかな。千秋楽前だったのかな)を写真立てつきでプレゼントしてくれて、「これ外国にも持ってってね」と言われて、嬉しいとか感動とかじゃなく、ただ胸がいっぱいになったんだった。この写真立ては今でも大事に持ってる。大事に机の上に飾っている。
そして部屋の片付けを済ませて引き払って、親が神戸まで車で来てくれてみんなで関空に向かって、ホテルに泊まった。部屋にひとりで、わたし、明日には日本からいなくなるんだ、ということを、ずっと思っていた。部活の同期メーリングリストで「行ってきます」っていうメールを打った。みんなが、いってらっしゃい!!と返事をくれた。そうか、いってらっしゃいなのかと思った。別に今生の別れというわけでは、ないのだなと。だけどあのときのわたしは確かに、あらゆるものとの今生の別れを覚悟していた。それくらい、留学するってことがもう地獄に飛び込んでいくみたいな、おそろしいことみたいに感じていたんだった。学部の同期の人たちはみんな希望に満ちてるような顔で旅立っていったけど、わたし、怖くて仕方なかった。誰もいないのだ。向こうには誰もいないのだ。親も、友達も、唯一ちゃんと使える日本語も、21年間しみ込んだ文化も、なんにも、なんにもないのだ。怖かった。本当に、怖かった。大丈夫、絶対なんとかなるって頭ではわかってても、怖いものは怖かった。だから、もし留学に怖気づいてる人がもしこの文章を読んでるなら安心してほしい。わたしだって、怖かった。出願したくせに怖がってた。そういう人間もいるから、あなたもたぶん大丈夫。
そういうわけで、翌朝。キャリーケースを預けてしまって、もう、本当の本当に戻れないし逃げられないんだなと思った。航空券を手に持って、出国ゲートの前まで来る。チェックインのアナウンスが鳴っている。周りも大き目の荷物持った人がたくさんいる。
「もう、行くよ」
私は母に言った。列に並んで、ゲートをくぐる直前に振り返った。母と手を振った。あのときの気持ち、不安と絶望、恐怖、もうほんとにお別れなんだという、この大げさすぎる気持ち、まさに悲劇のヒロインぶったこの気持ち、今思い返してもどう考えても自分で自分を演出しすぎなんだけど、でも、まだ本物を覚えているし一生忘れないかもしれないと思う。今この瞬間から、わたしは、たったひとり。免税店に目をやる余裕もなく、私はひたすら、乗る飛行機を間違えないことだけを考えていた。
ルフトハンザ航空。関空からフランクフルトまでは、およそ11時間くらい。乗り換えて、グラーツまでは1時間くらい。時差は7時間。長い旅なのに時間は巻き戻っていく。7時間分、わたしは過去に向かうことになるのだった。

(まだ出国してもないけど次号へつづく)

鉄道妄想日記


 ゴールデンウィークの初日、神戸にいる友達から映画に行ってご飯を食べようと誘われたので、電車に乗ろうと大阪駅にやってきたらどうやら人身事故により神戸方面におよそ二十分の遅れが出ているらしい。電光掲示板、時刻の隣には軒並み赤字の「遅れ約二十分」が連なり、果たして先にホームにやってくるのは本来先発であった新快速か、それとも本来その数分遅れでやってくる快速の方か、いずれにしてもホームは同じであり三ノ宮には新快速だろうと快速だろうと停車するので私は直感で新快速目当てに並んでいそうな人の列に加わった。来るはずの電車が来ない夕刻の大阪、しかもゴールデンウィーク初日とあってホームがすでに満員電車の様相を呈している。
「ありえんわ」
 すぐ近くでぱっと聞き取れる声が聞こえて振り返ると、スクールバッグをリュックサックのように背負い、チェック柄のスカートを遠慮なく短くした茶髪の女子高生ふたりが露骨に不機嫌な顔をしていた。彼女たちの手にあるスマートフォンのケースはスワロフスキーの大盤振る舞いであり、それ自体が発光しているかのようであった。
「こんな連休の初日に飛び込むとかありえん。迷惑かけすぎやろ。死ぬならひとりで死ねやクソカス」
「ほんまそれ。うちらなんも関係ないやん。不幸見せつけんなや」
 聞きながら、そんな汚い言葉使うこたないやん、と思いながらも、でも確かになあと私はつうっとうつむいた。
 確かになあ。せっかくのゴールデンウィークやのに、せめて全日満喫してから飛び込んだらよかったのに。もしかしたらこのゴールデンウィークに死ぬほどいいことがあって、よっしゃ来週も頑張ったろとか、気持ちが上向いたりしたかもしれへんのになあ。私は足元に目を落としたまま、ついさっき飛び込んでしまった顔も知らぬ誰かのことを思った。度重なる休日出勤と長時間労働の果てに一足先に体から命が抜け出てしまったサラリーマンなら労災判定も出るかもしれない、執拗ないじめとカツアゲで財布も空になれば自尊心まで空になってしまった中学生なら遺書を残したなら教育委員会が動いてくれるかもしれない、毎年医学部に挑むも連戦連敗でもう何浪したかもわからない浪人生なら、ちょっとわからない。ごめん。
 自分の靴だけを見ているつもりなのに色んな人の足が目に入ってくる。もしかすると、探せば、誰にも履かれていない靴がきれいに並んでそこにあるかもしれない。

 果たして、先にやってきたのは新快速であった。滑り込んできた車両に押し込まれていた人の数を見て、これは無理かもしれないなと思うも乗客はみなぞろぞろと降りて、思ったよりもすっきりした車内に乗り込むことができた。しかし座席を確保している人間ははじめから長旅を見越している奴が大半であるのでなかなか退こうとはしない。私は座席と座席の間の狭い通路のちょうど真ん中あたりに立ち、吊り革を握った。座れるタイミングがあるとしたら尼崎が期待できるが、尼崎で無理であればおそらく三ノ宮まで立ちっぱなしになるであろう。こいつらはおそらく京都で乗車し、私と同じ三ノ宮で降りるかさもなくば終点の姫路まで粘るに違いない。
 私の前に座るのは、別になんの変哲もない、百人いたらおよそ八十人は似たような恰好をしていそうな学生らしき男の子であった。彼はぼんやりと前の座席に目を合わせているのかいないのか、とにかく私には目もくれず席を譲ってくれる気配もない。当たり前だ、私は妊婦でもなければ老人でもない。彼の耳にはまったイヤホンからはかすかにしゃかしゃかと音が鳴り、膝には一応文庫本が開いているがまったく読む気配はない。あるよね、そういうの。一応電車で読もうと思って持ってくるけど結局音楽で満足してしまったりスマホの方が楽しかったり。あるよね。私もある。私は勝手に彼に語りかける。私のカバンの中にも「いつかのために」の呪いをかけられたカラマーゾフの兄弟(下巻)が入りっぱなしである。ミーチャもイワンもアリョーシャもつねに私とともにあるが私はすでに上巻と中巻の内容を忘れている。そしてこの下巻がカバンに入っていることすらもふだんは忘れている。彼ら三兄弟はただただ不幸なだけである。目の前の彼もまた偉大な文豪に対して不義理を働いているのかもしれない。
 ドアが閉まり、電車は走り出す。

 この列車は、現在大阪駅を約二十五分遅れで出発しております。本日はお急ぎのところ、列車たいへん遅れましたことをお詫び申し上げます。

 駅員は、来る日も来る日も自分のせいではない誰かの死を陳謝する。全く悪いと思っていなさそうな声で陳謝する。次は、尼崎です。やはりまったく同じ声である。列車は尼崎へと滑り込み、ふたつ前の座席の人が立ち上がってすぐに違う人がそこへ座ったのを見た。同じ大阪駅で乗り込んだ人であった。私の目の前にいる彼は腰を上げなかった。私は内心舌打ちした。せめて広げた本を読め。iPodの音量を下げろ。しかし彼はまだぼんやりした目で前の座席を見ているばかりである。顔に表情はなく、眠そうな目をして、少しカールした長めの前髪を邪魔そうにしている素振りもない。眠いんならさっさと寝たらええのに。私は一方的に彼に語りかけるが答えてくれる気配はない。そして電車は動き出し、運動神経もなければバランス感覚もろくに持たない私はぐんとよろめいて隣に立っていたオッサンがあからさまに嫌そうな顔をした。オッサンは化石のようなガラケーを使ってテトリスをしていた。いやテトリスて。ていうかガラケーて。よお生きとんな。大事に使いや。ていうかオッサン、何気に上手いなテトリス。え、落ちてくんのめっちゃ速ない?
 私は目の前の彼から興味を移し、オッサンのテトリスを観戦することにした。オッサンは神がかった手先で次々とブロックを高速で落とし、一気に何列もの壁をぶち壊していった。こんなにテトリスを極めている人には初めて会った。オッサンも若い女に横から観戦されれて悪い気はしないらしく、手加減することなく次々にブロックを消滅させていった。赤いブロック、黄色のブロック、端の列はきれいに空けたままでいる。そこにやってくる青色の棒ブロック。オッサンは待ってましたとばかりにそいつをそこに突っ込む。ブロックが積みあがった壁は爆発し、消滅する。画面はきれいさっぱり空になる。隣で見ている私もまた爽快感を覚える。しかしオッサンの神の手をもってしてもその上を行くテトリスの神は容赦なくオッサンを追い詰めることもあり、にっちもさっちもいかなくなってゲームオーバーになったりする。するとオッサンは淡々とコンティニューを選択し、空の画面に戻る。
 間もなく芦屋、芦屋です。降り口は右側です。車掌の声が聞こえるとオッサンはふと顔を上げた。あ、降りるんやと私が気づくのと同時にオッサンはテトリスを中断し、携帯を閉じた。電車はぐーっと速度を落としていく。私はさっきとは反対方向によろめく。幸いにもそちら側に人はいなかった。窓の外に芦屋駅のホームが入り込んできたあたりで、オッサンは一言すいませんと断って私の背後を通り抜けていった。私はまた楽しみをなくし、ひとつ息をついた。そういえば私はまだ立ったままでいる。目を落とすとさっきまで顔を上げていた彼の首がかくんと前に倒れていた。

 あ っ 、 と、思った。

 電車は芦屋を出発し、六甲道を無視して三ノ宮へ向かう。窓の外、おそらく六甲山が近づいている。しかし私は彼から目を離すことができない。そういえば、大阪駅で不機嫌に故人を罵倒していた女子高生は結局どこに行ってしまったのだろう。死ぬならひとりで死ねや。彼女のかわいい声が発する罵りが頭ではなく胸に響く。かつて私が女子高生であったころ、もしかすると同じことを思ったかもしれない。いや、思ったであろう。でもごめんなあ。私はもう顔も思い出せない彼女に感情もなく陳謝する。ごめんな、私なんとなくわかるねん。電車に飛び込んでまう人の気持ち。なんとなくやけど。オッサンがやってたテトリスみたいに、降ってくるいろいろをあの手この手できれいに積み上げて、とどめの一発かまして壁をぶち壊していられるうちはええけど、どうにもならんようになんねん。オッサンですらどうにもできんときあったもん。もしかしたらな、そういうことかもしれへんねん。私の意識は目の前の彼に戻る。彼は、目的地の駅に着くまで目を覚ますことはきっとないであろう。見れば、彼が開いていた文庫本は、彼の手から力が抜けたことで閉じられてしまっていた。その表紙には三島由紀夫、天人五衰とあった。ふっと笑みが漏れる。私と同じではないか。きっと彼の頭からは春の雪の記憶などもう消えているに違いない。三島は無意味に彼に寄り添い、これからも同じ場所を往復していくのだろう。

 三ノ宮、三ノ宮です。お出口は、左側です。

 行かなければ。そういえば結局この電車はどのくらい遅れたのだろうか。もう約束の時間もあったものじゃなければ映画の時間にも間に合わない。私は、遅延した電車に乗ってでも神戸にたどり着く必要があったのかどうか、わからなくなってしまった。神戸で観れる映画は大阪でも観れるし、神戸で食べられるものが大阪で食べられないわけがない。私は私の行動の意味がわからない。徒労、徒労とはこのことだ。私の移動もまた、無意味である。死とは、自分の生が無意味であると知る瞬間にもやってくる。テトリスに熱中していても、ふと、なんやこれ、自分何やってんねやろ、と、思う瞬間がやってくる。あるいは、目的地にたどり着いて強制的に終わらせられるか。まあ、移動が一段落したオッサンはもう一度テトリスを立ち上げられるが、死は死んだら死にっぱなしである。
 やがて外の世界に流れてきた三ノ宮駅のホームは、やはり電車の遅延とあって混雑しているように見えた。私は座席の彼とついぞ目を合わせることはなかった。私が吊り革を離し、私の気配を遠ざけても、彼の首が持ち上がることはなかった。きっと彼は目的地の駅も寝過ごして姫路まで行ってしまうことであろう。そして私は電車を降りて友達の顔を見た瞬間に彼のことを忘れるであろう。あの大阪駅での女子高生をもう思い出せなくなっているのと同じように、今日の人の死も数ある人身事故のひとつでしかなくなっていくように、明日もきっと同じように誰かが飛び込むように、起こっては忘れていく。忘れては起こっていく。
 しかし電車が止まるか止まらないか、最後の慣性に引っ張られながらドアの前までたどり着いたとき、私はふと思った。彼は、 行き なのか、 帰り なのか。

 ぷしゅう、と空気を吐き出すようにドアが開く。空調のものではない外気。解放感にあふれた雑踏、ざわめき、アナウンス。海へと延びるフラワーロード。左手にそごう、右手に三ノ宮センタービル。しまった、中央口をずいぶん通り過ぎてしまった。
 しまった。
 しまった。
 私は 行き だ。まだ 帰り が残っている。
 可能性は消しても消しても色を変え形を変え降ってくる。思った通りの形が降ってくると誰が言い切れるだろうか。壁は必ず壊れるものだと誰が言い切れるだろうか。彼の往路、復路は彼以外の誰が決められるだろうか。私が今夜ふたたびこのホームに立つとき、大阪方面に遅れは発生していないと誰が言い切れるだろうか。
 私が姫路まで乗り過ごすであろうと思った彼は、本当に眠っていたのだろうか?


このひとは死ぬだらうなと眺めつつ座席を立たぬ春のゆふぐれ
かかり真魚



鉄道妄想日記 / 20170127

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大気圏突入用のロケットに乗って

新年あけまして、今日から仕事が始まりました。
毎日昼に起きる年末年始だったので今日ちゃんと起きられるかめちゃくちゃ心配でしたが心配になりすぎて1時間おきに目が覚める事態になりました。昼間の眠気が凄まじかった(いつも)
大晦日は映画を2本観て(「ストーンウォール」「エヴォリューション」)紅白を見ていました。なんで紅組が勝ったんだろう。
それにしても林檎嬢のパフォーマンスで東京事変が集合しててちょっとぐっときました。



今年やりたいこと。

◇小説
 これは、書くか書かないかというところから考える。
 2016年に三部作blueが完結したので、その先なにを書くのか、まだなにか書くことがあるのか、そもそも書く気はあるのか、去年の9月以来1文字も書かずにいるとなんかわからなくなってきた。別に、書かなくても生きていける。思っていた以上に、わたしはなにも書かなくても生きていける。
 わたしは小説が書きたかったのか、あの三部作を書きたかっただけなのか、なんだかよくわからない。
 でも文芸賞に応募して一次選考通過欄に自分の名前が載ったりすると嬉しいことは嬉しい。わたしにとっては今のところ公募が唯一フェアな勝負ができる機会だと思っているので、挑むということ自体は嫌いじゃない。それに、そう簡単にわたしを通過させてもらっては困る。簡単に手が届くものだと思ってしまったらとたんにつまらなくなってしまう。
 だから、そう、挑むことは嫌いじゃないし、手ごたえを掴むことは嬉しいから、公募は続けたい。
 「わたしのことを一切なにも知らない人」に「わたしの文章そのもの」だけで勝負しに行くのが、燃える。

◇ドイツ語
 留学から帰ってきて5年が経とうとしている。人間の細胞は3ヶ月で入れ替わるからわたしの身体にはもうドイツの空気もオーストリアの空気も1ミリも残っていない。耳慣れていたと思っていたドイツ語もあっという間に忘れてしまう。
 ゲーテ・インスティテュートのドイツ語試験は世界共通で、ABCあるうちのわたしはB1/2(まあ中級)までは取ったんだけど、そんんな5年前のことが今でも通用するわけもないから、たぶんA2/2くらいまで落ちていると思う。
 から、これをもう一回B1/2くらいに戻せたらいいなあと思ったのだった。
 さいわい、ゲーテ・インスティテュートは大阪にもあって、春の短期講座とかも開講してるみたいだから、受講しようか今とても悩んでいる。平日の夜に果たして通えるのか、通う元気はあるのか…
 だけど、もしこれでBとか、Cとか(上級)取れる日が来るならいっそドイツに移住する。
 仕事で必要になるのはむしろ英語とフランス語なんだけどそんなものは知るか。英語はたしかに大事だしTOEIC800点くらいはほしいけど(今720点)わたしが今やりたいのはドイツ語だ。
 やっぱり、日本で仕事してるしそもそも日本人だけど、心の中にはいつもドイツ・オーストリアがあって、お世話になった記憶があって、生かしてくれた恩義みたいなのを感じているので、もう一度戻りたいなあと思うのだ。
 ドイツにワーホリ行くというのもわりと本気で考えている。30までに、目指せ日本脱出。目指せドイツ就職。

◇映画を観る・本を読む
 これは毎年。
 ハンナ・アーレントとナチスについて教養を深めたい。

とにかく、わたしは良くも悪くも器用で飽き性なので、なにかひとつこれ!極める!!ということをやってみたい。
学生だった頃はまあ大学受験で死ぬ思いもしたし卒論は確かに極めた感はあったけど、社会人になると自分の好きなことに金も時間も投入して没頭するというのはなかなか難しいんだなと知った。そもそもそういう性格をしてないんだなきっと。
だから、こんな器用なだけの人間に負けてんじゃねえよって、文芸賞の一次通過者欄の限られた数とそこからあぶれた数のことを思ってはハーッとため息をつきたくなるのだ。努力は必ずしも報われるとは限らない。
けど、それを言ってしまうと終わりなので、やりたいことをやるというのが、結局はいちばん楽しいね。

とりあえず、何よりも、ドイツに積極的に関わる年にしたい。
小説は、もう二度と書かないってことはないと思うし書きたいなって思うネタみたいなのもあるから公募には挑みたいけど同人活動を再開させるかといえば微妙。わたしの人間性が徹底的に排除された世界で勝負がしたい。
あと1年歌わなかったらだいぶ声が悪くなっているので、歌声についてももとに戻す。よみがえれ、わたしの高音。
いろんなことを、取り戻す一年にしたい。



もとより、わたしは回遊魚みたいな生き物であんまりひとところに留まらないし現実では足はものすごく遅いけど勉強でいい成績取ったりとかカラオケで高得点取ったりとか公募で勝ち進んだりとかは大好きで、結局は一位がほしいわけだ。
ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン
とは言うけど、オンリーワンだということを認めたうえでナンバーワンも目指せばいいじゃんって思う。
SMAP解散しちゃったけど、26歳のわたしははじめてSMAPがいない世界に舟を漕ぎ出すわけだけど、去年のわたしは死んでたけれど、今年のわたしは、たぶんまた自分以外の世界を蹴散らして進むよ。進みたいよ。

今年も、よろしくおねがいします。
この流れでこう締めるのかって感じですね。でもよろしくおねがいします。
お茶を飲んだり映画に行ったり買い物行ったりカラオケ行ったり、仲良くしてください。
ちゃんと人のことも考えられる一年にするぞ。

飛び立つ 2016→2017

生まれてはじめて洗濯機の掃除をやってみました。
漂白剤に塩素系と酸素系の2種類があるのは知りませんでした。何回か攪拌したら一晩寝かせろって書いてあったので明日を楽しみに寝るとします。でも買って間もない洗濯機なので、思ったよりひどい惨劇にはならなさそう。
目に見える範囲の床をぴかぴかに拭き、水回りもぴかぴかにして、ついでにドアもぴかぴかにして、明日洗濯機の掃除が終われば洗濯もどかどか済ませてすっきり年を越したいと思います。



◇2016年 よく覚えてる映画
 キャロル / リリーのすべて / 帰ってきたヒトラー / ROOM / キンプリ / オーバー・フェンス / ゼロ・ダーク・サーティ / この世界の片隅に / 怒り / 羊たちの沈黙 / ファンタスティック・ビースト

◇2016年 よく覚えてる本
 レモンケーキの独特なさびしさ(エイミー・ベンダー) / あこがれ・きみは赤ちゃん(川上未映子) / 無伴奏・恋(小池真理子) / 永い言い訳(西川美和) / 異類婚姻譚(本谷有希子)

去年は観た映画をリストアップして印象的だったものにちょっとしたレビューをつけたのですが、今年は途中で記録するのをやめてしまったので、そして自分でも何を観たのかあまり覚えていなかったりして、それは本も同じで、なんかもういろいろともったいないのですが、その中でもちらちら頭に残っているものです。
映画は、エディ・レッドメインをたくさん観れたのがよかったなあと思います。でも明日観に行く予定のものもあるので、今年のベスト映画は最後まで決まらないなあ。(ちなみにストーンウォールとエヴォリューションあたりを狙っています)
あと、ようやくのアカデミー主演男優賞おめでとうレオナルド・ディカプリオ。今でも、いくつになってもあなたはわたしの王子様だし、人類の最高傑作であり神にいちばん近いところにいる人だと思っています。



書いたものについて。

◇エム・トロスト
 1~3月にかけて書いた。4万字くらい。
 親友に自殺されてこの世がいやになった主人公が日本を脱出して海を越えてオーストリア・グラーツでぼんやり教会に行ったりコーヒーを飲んだりして、その街の人たちとなんとなく付き合っているうちになんとなく心を入れ替えて日本に帰るまでの物語。
 どんな物語になろうと、グラーツを小説に起こすことができたことがいちばんよかった。
 正直、メンタル的にいちばんやばい時期だったのに、よくここまで書いたなと思う。逆に、いちばんやばかったから、もうどれだけ身を切ったって、どうなったってもう知らないという気持ちだったのかもしれない。というか、たぶんそう。
 今でもこの小説はあんまり読み返したくない。もうしばらく押し入れの中に封印しておきたい気持ち。
 でも、新潮新人賞で一次選考通過。56/1933。けっこう健闘したね。おつかれ。よくやった。

◇はばたく魚と海の果て
 書き上げたのは今年ではないけど。5月発刊。8万字くらい。
 2014年から書き始めた三部作blueがようやく終わった。高遠椎名、須堂智尋、因幡陸の三人がようやく高校を卒業してくれた。彼らはこれからは三人一緒ではなく、それぞれの道に進んでいく。もう自分の出自とか、生まれた町に縛られる必要はない。自分の足で、自分の人生を歩く。
 何、そんなのあたりまえじゃん、って思うけど、クソ田舎のシケた町に生まれたわたしにとっては大学進学で神戸に出ることが人生の一大イベントだったわけ。死ぬ気で勉強して、町を脱出する切符を手に入れたわけ。それがすべてだったわけ。
 blueの三人は、自分の出自については結構それぞれに納得がいっているというか、ふつうに考えるとありえない血縁関係にはあるけど、それについて今更どうこうとは思ってないと思うのね。3年生にもなると。進学校にいるんだから、自分の出自がどうだこうだと悩んでる暇とかなくて、とりあえず進路を決めなきゃならないわけ、そっちの方がずっと大事なわけ。これは、わたし自身がそういう高校3年生しか知らなかったから、こんなふうにしか書けなかった。
 でも、まあ、みんなそれぞれ、よく生きたね。わたしが言うのもなんですが。
 「ミニチュアガーデン・イン・ブルー」は「小説」を書き、「夏火」はなんかわからない、わからないけどとにかく書き、「はばたく魚と海の果て」は「人間」を書いたような気がする。
 15歳のわたしが作り上げた彼らを25歳のわたしがようやく形にした。
 たしかにまあ、ボーイズラブではありますが、わたしにとっては、家族と愛の物語です。

◇ELEKTRAS TOD -von der Inszenierung 2012 Elektra in Graz-
 これも書いたの3年前ですけど。4万字くらい。
 わたしは学部ではけっこう浮いてた学生で友達もぜんぜんいなかった。2回生の夏くらいまでは演劇部に必死でブカツのために学校行ってた。授業もぜんぜん出てなかった。
 でも、部活の人間には「お前ら誰の金で大学行ってんだよ、授業も出ずに芝居に精を出してる自分かっこいいアピールしてんじゃねえよ何様のつもりだよ、自分が何者かになった気でいてんじゃねえよ、アウトサイダー気取ってんじゃねえよクソどもが」っていう気持ちがあって、ゼミの先生には「自分でやったこともないくせに何知ったような口で芝居だの舞台だのについて語るわけ? あんたらに制作の何がわかるわけ? 机上の論理がなんの役に立つわけ?」っていう気持ちがあって、相反するふたつの気持ちで学生のわたしはしょっちゅう怒っていた。だから、留学の切符を手にしてグラーツであのエレクトラに出会い、これで卒業論文を書くと決めたときは、好機がやってきたと思った。
 学問をバカにするクソども、知ったような口で外から語るクソどもを両方一気に叩き潰してやろうと思った。
 これが優秀卒業論文賞を取ったとき、わたしは神戸大学国際文化学部を見直した。アカデミズムを重視するならもっと優等生な論文なんて山ほどあっただろう。わたしのこの文章は論文というより読み物だ。だけど、「わかってほしいならわかってほしいだけの努力をしろ」というか、ガラパゴス化が起こりまくってる論文読むの、つまんないじゃん。
 決して優等生ではない、授業にも出ない、留学させてもまるで単位を取らない、友達もいない、およそ国際文化学部っぽくなさがはんぱなかったわたしを評価したのは結局国際文化学部だった。
 でもこの学部、統合されてなくなっちゃうんだよな。懐の広い学部だったんだけどな。



私生活。

死んでた。半分死人みたいに過ごしてた。何を見ても聴いてもなんにも、なんにも!感じなかった時期があった。自律神経が完全にやられてしまっていきなり意識失って救急車で運ばれたりした。わたしは死ぬまでに一体何回救急車に乗るんだろう。どうやら双極性障害Ⅱ型らしいんだけどそんな診断が何になるとも思ったりするし、とりあえず毎日を生き延びることを最優先させた。幸いなことに今では映画や音楽や本に心が動くようになったので、まあ治ったのでしょう。でもお酒を飲むといろいろとどうでもよくなって腕を切ってあっ結構血が出た服が汚れるやばいとか思ったり薬たくさん飲んで爆睡したり(でも宅配便はきちんと受け取って冷蔵庫に仕舞ったりしてるんだからすごい。全く覚えてないけど)なんかもともと持ってたメンヘラ気質が呼び起されたとかそんな感じがする。あ、でも健康ですよ。太ったし。最悪。あとピル中断したから肌荒れがすごくて地味にこれが今いちばん嫌。

わたしは、絶対に負けないと思っていた。中学生だったときも高校生だったときも大学生だったときも、自分に何が起ころうと、絶対に負けないと思っていた。自分が引き起こしたことだったとしても、それで倒れてなんてやるものか、誰に恨まれようが、見放されようが、絶対に、絶対に、負けない、負けてたまるか、って、ずーっと、思ってここまできた。
だけど今年は、いよいよ、もう無理だと思った年だった。今も、これからどうやって生きようか途方に暮れてるところではあるけど、それでもやっていかなきゃならないんだなと思うとなんかもう人生ってどうしようもないですね。

あと、わたしは常々「人を殺す文章が書きたい」と言っているけれど、「エム・トロスト」で露骨に人を傷つけようとして文章を書いている自分に気づいてちょっとぞっとした。自分が楽になりたいから、持っていられないから、っていうどうしようもなさで書いたものだったけれど新潮新人賞で一次通ったって知らせを受けて久しぶりに読み返してみたらこれはただの暴力じゃん、ていうか。blueを手放したわたしがこれからどんなものを書いていくのかわからないけれど、もしかしたら今よりもっと自分の中にある怒りと苦しみをストレートに表現するようなどうしようもない小説にシフトしていくのかなあとぼんやり思っていた。
というか、今はちょっと自分の意見とか考えを表明するのが怖い。どんな意見にも反論はあって当たり前なんだけど、その当たり前のことが今は受け入れられない。わたしが「こう思う」って表明したことに「わたしはこう思う」って別の意見を言われてしまうとわたしという人格そのものが否定されたように感じてしまう。だから何も言いたくない。
そして、小説も書きたくない。9月くらいからなんにも書いてないしこの2ヶ月一冊も本を読んでないし漫画でさえ手をつけずに床に積み上げっぱなしだ。
この状況も来年になったら変わるんだろうか。ふたご座にとっては調子がいい年らしいんだけど。



ともあれ、2016年も終わります。
来年はいよいよわたしも27歳になるわけだ。まあ、まだ27でしょ。20代は余裕、気持ちの問題だから。
今更ですが、人の縁ていうのは大事だなと思います。そして、その縁がどうやってつながるのかというと、昔の自分が書いて残しておいたものが端と端をつないでくれるっていう、にわかには信じられないことが起きてる。
もちろんわたし自身が移動することによって発生するつながり(学校、会社とか)もあるけど、わたしが書き置いて、ちょっと忘れたころに「こんな人見つけてきたよ!」っていろんな人を引っ張って来られて思わず「もとの場所に戻して来い!むりやり連れてくるんじゃない!」とちょっとぎょっとすることばかりだった。
作品は、残しておくに限りますね。わたしの手は二本しかないし足で移動できる範囲も限られているので。
他人を大事にしないことにかけては折り紙付きのわたしだけど、来年は、人のことを考える。人の立場になって考える。自分がされて嫌なことは人にやらない。小学生みたい。
何より、生きる。「いてくれるだけでいい」っていう気持ちあんまりわからないけど、とりあえず、死なない。来年も、12/31になったら「今年もお世話になりました」って、このブログに記録する。

今年も、お世話になりました。酉年なので、みんなが飛び立ついい年になりますように。


20161231
BUMP OF CHICKEN / 矢井田瞳 / より子 を聴きながら暖房をつけても寒い部屋の中から。